弊社は、平清盛ゆかりの地「大和田の泊(兵庫の津)」(神戸市兵庫区新川運河一帯)にあります。
治承4年(1180年)平清盛が修築した大和田の泊は、旧湊川河口と和田岬に挟まれた入江で、現在のJR兵庫駅の東の新川河川のあたりを指します。
下の写真6枚(クリックすると拡大します)は、その新川運河に架かる、2年近い月日をかけてこの度新しく架け替えされた完成ホヤホヤの新川橋の写真です。新川橋は弊社から徒歩2~3分という直ぐ近所です。
6枚目の写真に写っている親柱のプレートは何故か目隠しされていますが、実は、本日の「新川橋架替完成祝賀式」の為に、目隠しされていました。
そう、本日、新川橋の袂で「新川橋架替完成祝賀式」がおこなわれました。
和太鼓など幾つかの太鼓がありますが、式の後半でおこなう神徳館保育所の保育所園児による和太鼓演奏のためのものです。
和田神社(和田宮)宮司による神事です。
和田神社は、1180年(治承四年)、福原遷都(神戸を都とした)の際、平清盛が平家一門の氏神として深く信仰している安芸国厳島神社(安芸の宮島)より市柿嶋姫大神を福原京の周り七つの地に、”大輪田の泊”の修築の事業の無事と将来の繁栄を祈願し勧請しました。そのため、七弁天と呼ばれ、その後も、南浜総氏神と広く人々に親しまれ、隣松院と呼ばれた社務所には、西国大名や勝海舟が訪れました。
弊社が施工しておりました祖霊殿(御霊家:みたまや)新築ならびに外回り工事が、昨年3月に竣工したあの神社であります。
和田岬東部連絡協議会会長(実は私の父です)と出在家町協議会会長による玉串奉奠です。
街灯が吊るされている親柱の足元が白布で覆われていますが、市長揮毫「橋名板」の除幕をおこなうためです。
兵庫県立兵庫工業高校ブラスバンドによるファンファーレ演奏のもと、親柱の市長揮毫「橋名板」の除幕をおこなうために、高校生の皆さん今か今かと、待ち構えています。
この後、予定が入っておりましたので参加できず、 市長(矢田神戸市長)揮毫「橋名板」除幕や保育園児による和太鼓演奏などは見れませんでした。
後日、名板を見てこようと思います。